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【ゲーム親父の回顧録:4】 ゲーム&ウオッチの想ひ出

【前回】


今年(2008年)、クラブニンテンドーのポイントプレゼントとしてDS用「ゲーム&ウオッチコレクション2」が登場しました。
「1」の方はあまりそそれられませんでしたが「2」に収録されている「パラシュート」は私が初めて買ったゲーム&ウオッチでしたので懐かしくなり注文しました。
オリジナルモードをプレイして改めて感じるのは、そのシンプルさ故に生まれるリズム感の心地良さと先に進むにつれてスピードがアップするものの100点ごとに一端スピードが下がるといった難易度・緊張感の緩急の妙
淡泊なゲームなだけにその微妙な味付けの巧みさがよく分かります。
世界を魅了する任天堂製ゲームデザインの機微はまさにこの時代から始まっていたのです。


故 横井軍平氏が新幹線内でサラリーマンが電卓をプチプチ触って時間つぶしをしている姿を見て液晶小型ゲーム機のアイデアを思いついた、というのはゲーム好きの間では有名な逸話ですが、この小さな閃きは巨額の債務を抱え倒産の危機に瀕していた任天堂に非常に大きな利益をもたらし、そしてそれを起点としファミコンからWii・DSへと任天堂ハードの血脈は繋がっていくことになるのです。
横井氏の発想がなければゲーム大国日本の姿は無かったと言っても過言ではないでしょう。



最初の発売は1980年。インベーダーブームも一段落し世間的にテレビゲームに対する認知の高まった頃でした。
私がゲーム&ウオッチを知ったのはこのテレビCMだったかと思います。


芝生に正座してる女子高生に時代を感じますねw


当初は訴求対象を大人としていましたが、いざ蓋を開けてみると主な購買層は子供。
子供の側にしてみれば、駄菓子屋ゲーセンで知ったゲームの味を家でも野外でも楽しめるというのは非常に魅力的でしたし、6千円弱という頑張ればギリギリ手の届く価格も絶妙。
そして今でこそデジタルの卓上時計なんて100円で買える代物ですが当時はまだ存在自体が珍しく、時計機能を持つゲーム機とはまさにデジタルガジェットの先駆けと言える存在でした。さらに大人を対象とした製品だけにプロダクトデザインもまた秀逸で、今の目で見ても古さやチープ感はまるで感じられません。
子供達にとってこの上ない垂涎の的だったのは言うまでもありません。


***


私がその頃持っていたのが前述の「パラシュート」というゲームで、上から落下傘部隊が次々降りてくるのを手漕ぎボートで受け取るという冷静に考えれば微妙にシュールな内容のものでした。(ゲーム&ウオッチの内容は流れてくるモノを「受け取る」か「避ける」かというのが殆ど)

当時、私が通っていた学校には「雨の日は学校にゲーム&ウオッチを持ってきても良い」という不思議なルールがありました。しかしゲームセンター立入禁止令をも出していたので学校側としてもテレビゲームの対処法を模索していた時期だったのかもしれません。
そうなれば晴れより雨の日の方が嬉しくなるのは必然で、思う存分貸し借りしあえる梅雨時期はパラダイスのようでした。
登校時に雨が降っていなくとも僅かでも降る可能性が有ると思えば密かにポケットに忍ばせて持ち込み、雨が降るなりジャジャーンと取り出して休み時間によく遊んでいたものです。


どこの学校でもそうでしょうが、クラス内で1〜2ヶ月に一度ぐらい席替えを行っていました。その頃何故か特定の女子と5〜6回連続で隣同士になるという偶然が続いたことがありました。30人ぐらいの生徒数だったかと思いますが今考えると奇跡的な確率です。
彼女は(というより女子は基本的に)ゲーム&ウオッチを持ってくる事はありませんでしたが、ただ一度だけ「ジャッジ」(数字の大きな方が相手をハンマーで叩くゲーム)を持ってきた事があります。

別にその娘を好きだった訳でもなく、むしろ隣に来るたび悪友に冷やかされるのでお互いの仲はあまり良くありませんでしたが、誰も持っていない珍しいゲームをしたいがために頭を下げて遊ばせて貰いましたが、ぶっちゃけ微妙でプレイ時間もやたら長いし内容も単調だしで正直あまり面白くありませんでした。
「つまんねェなぁ」と言おうとしましたが、ふと横を見るとその娘が嬉しそうに私のパラシュートを楽しんでいましたので、「ま、いいか」と。


程なくして、学校にゲーム&ウオッチを持ってくるのは禁止となりました。
天気関係なく持ち込んだり、授業中にプレイするという不届きな輩が出始めたのに先生が業を煮やしたのです。
貸し借りの場が放課後に移っただけですので友人間でのプレイは支障ありませんが、ジャッジはそれが最初で最後のプレイとなりました。


***


所有していたのは遙か遠い昔のこととなりましたが、「ゲーム&ウオッチ」の名を聞くとまずはじめに私の「パラシュート」が思い出され、その次にたった1度しかプレイしていない彼女の「ジャッジ」が脳裏に浮かびあがります。

顔も名前も今では覚えていませんが、彼女は今どこで何をしているのだろうかとふと思います。WiiやDSを子供と一緒に遊んでいるような優しいお母さんになっていてくれていたら嬉しいのですが…。


【つづく】


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【ゲーム親父の回顧録:3】 心の書「ゲームセンターあらし」

【前回】


「ゲームセンターあらし」はご存じでしょうか?

当ブログを読んで頂いている方々はゲーム好きな人が殆どでしょうからここでの認知率は高そうですが、なにせ30年も昔の漫画ですので「名前は知ってるけど読んだことはない」という方も多そうです。
ひょっとしたらファミ通のパロディ漫画や吉崎観音の「アーケードゲーマーふぶき」で知った、という人もおられるかも知れませんね。

ちなみに「ふぶき」は「あらしが出てる!?」と聞き、ワクワクしながら見ましたが、あのノリについて行けず1話しか見ていません。(それ以降吉崎観音は苦手にw)


「ゲームセンターあらし」は1978年から83年までコロコロコミックに連載されていたゲーム漫画のパイオニアで、コロコロのホビー路線の礎を作った漫画でもあります。
前々回にも書きましたが、とにかく当時の人気は凄く、TVアニメ化までされてドラえもんと並ぶコロコロのツインタワーとして君臨していました。


水木一郎の歌はイイけど、絵はチープですなw


あらしの良かった点は主に2つ。

1つは必殺技のケレン味。
あらしがブレイクする以前に「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」などの魔球ものがヒットしていまして、それらをルーツとして「炎のコマ」「エレクトリックサンダー」などの必殺技があったのです。
でも正直言って、最初のウチは「何で逆立ちしてゲームしてんだよ!w」とか「手から炎が出るて!」と子供ながらに無茶な漫画だと認識はしていましたw
とは言いつつも駄菓子屋ゲーセンで「炎のコマーーッッ!!」と叫びながらレバーぶっ叩いたりしたのはあの頃のゲーム小僧ならば誰しもやったことです。(当然、自機が僅かに動くだけですがw)


そしてもう1つが、ゲームの情報源

インターネットが普及した現在では地球の裏側のゲームショウの情報もリアルタイムで見ることが出来ますが、当時ではテレビゲームの情報などは皆無に等しかったのです。コンピュータ雑誌には幾らかの情報があったそうですが、その頃のコンピュータは今のパソコンとは違い完全に専門的な機械でしたので、そんな雑誌など子供が手に取るはずがありませんし、たまに漫画雑誌の巻頭カラー特集ページで取り上げられるぐらいで、定期的な情報は望むべくもありません。
そんな中でのほぼ唯一の情報源が「ゲームセンターあらし」だったのです。

新作ゲームが出た時は簡単な説明と攻略方法も書かれていましたので、そのゲームと出会える日のためにキッチリ予習しておくのはゲーム小僧の必須科目。教科書なんて授業以外開きませんが、ゲームの教科書はそらで暗唱出来るほど習読が必然!
「護衛を2機倒してからボスを倒すと800点」とか
「1面目は4機目、2面目は5機目の真ん中に当てるとボーナス点」
「秋葉掘り・伊藤掘り・隠居掘り」などはあらしで得た知識で、脳に焼印されたが如く未だに忘れていません。
※何のゲームか分かるかな?w


駄菓子屋ゲーセンに入るゲームは基本的に各地を巡り巡って流れ着いたものばかりでしたので、あらしに載る最新ゲームは本格的なゲームセンター、あるいはデパートの屋上、アミューズメント施設のゲームコーナーでしか巡り会えませんでしたが、掲載されたゲームに出会えた時はそれはそれは嬉しかったものです。

読者にしてみれば、あらしが戦ったゲーム=凄いゲームという図式ですのでミシュランの三つ星がついたようなもの。ファミ通プラチナやモンドセレクション金賞受賞なんて目じゃありません。
しかし中には「ドラキュラ」や「レッドタンク」のような内容も出荷数も非常に微妙なものもあったり、中には恐らく改造コピー品であろう「ギャラクシアン パート2」なんてのも登場していました。
デッドコピーが横行していた時代ならではですが、今なら大問題ですねw



今、あらしを読み返してみますと、やはり初期の頃の熱さがたまりません。
この漫画の良さは必殺技と情報だと書きましたが、この熱気もまた少年たちの心を掴んだ1つの要因だったことは間違いないでしょう。

ゲームセンターあらし
ゲームショウに呼ばれ、最新ゲームをデモプレイするあらし。
しかし台風が接近していると言うのに何故か屋外でのプレイ。
そこへ!突風により怪我を負うあらし。
しかし!引く訳にはいかない!
ゲームは彼の命なのだからッッッ!!!
更に風でスクリーンがばたついてき見えない!
嵐の中で満身創痍のプレイ!
この結末や如何にィッ!!




若い頃に読み感銘を受けた物語が後の人生に影響を及ぼす、というのはよく言われる事ですが、私の場合「ゲームセンターあらし」はまさにその心の書でした。



【つづく】

ゲームセンターあらし 公式サイト




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【ゲーム親父の回顧録:2】 駄菓子屋ゲーセン狂時代

【前回】


世間的にインベーダーブームが一段落しますと、ゲーム機は中古品も含めて供給過多となり、業者はあらたな卸先として子供の集う駄菓子屋をターゲットとします。
しかし駄菓子屋経営者がゲームマシン何台もを購入出来るほどの資金繰りが出来たとは考えにくいので、恐らくは業者がタダで機械を貸してインカム(売り上げ)の何割かを貰う、という感じだったのでしょう。

事実、業務用ネオジオはそんなビジネスモデルでした。
昔、レンタルビデオ店でバイトしていた時、SNKの営業マンがネオジオ置きませんか?とセールスに来たことがあり、たまたま横にいた私はチャンス到来とばかりに営業マンと一緒になって店長に無茶苦茶プッシュしまくって見事導入にこぎつかせました。
閉店後のタダゲー三昧はきらめく青春の1ページですw


前回で書きました駄菓子屋はあれよあれよという間にゲーム機の数を増やし、ちょっとした規模のゲームセンターへと変貌。価格帯は10〜30円程で、パチ物インベーダーが多かったですが、アップライト筐体のモナコGPブロック崩しなどの他、コインをはじく類のエレメカなどもあり割とバリエーション豊かでした。

モナコGP
モナコGP


最初にゲームを導入した駄菓子屋の盛況っぷりを見てか、他の店も追随するようになります。それなりにスペースをとるので駄菓子と共にお好み焼きをやっているような店は導入できませんでしたが、店内ではなく軒先にアップライト筐体を置く店が徐々に出始めます。
それもゲームセンターにあるような大人向けのサイズではなく、子供の身長に合わせた大きさの筐体です。メーカーサイドもアーケードばかりでなく駄菓子屋ゲーセンの需要を見越した上での開発だったのでしょう。
ちなみに今思い返してみれば中に入っていた基板はタイムパイロット新入社員とおるくんなどコナミ物が多かった様な気がします(たまたまかもしれませんが)。


私はと言うと、一度ゲームという甘露の味を覚えてしまったが最後、堕ちるのはあっという間。最初のチキンぷりはどこへやら、不良の存在も気にせずその店に足繁く通うようになりました。
もちろん行くのはその店だけではありません。西のパン屋にゲーム機が設置されたと聞けば向かい、東の駄菓子屋に新機が入ったと知れば駆けつける。
純朴な田舎の子供は見事ボンクラゲーム小僧へと悪い方向に成長してしまいましたw


インベーダー以降もギャラクシーウォーズムーンクレスタオズマウォーズプーヤンディグダグクレイジークライマーペンゴフロッガー、そして名前も分からない数多のゲーム達。
駄菓子屋ゲーセンには数年落ちの古いタイトルばかり入ってきましたが、どれもこれも素敵な思い出のあるゲーム達です。

今はもうその駄菓子屋はどこも存在していませんが、あの安普請の薄暗い店、ゲーム機の喧噪、ゲームの合間に食べたアイスキャンディーや1枚50円の目玉焼きの味、怖いヤンキーにからまれそうになった事、やさしい店のおばちゃん達…未だによく覚えています。

当時学校でなにやったかとかは全然覚えていませんが、こういう遊びの中で得た経験や記憶はいつまでも薄れることなく鮮明に残っています。


【つづく】



【ゲーム親父の回顧録:1】 インベーダーの苦い味 

かつて「ゲーム=」でした。


私がテレビゲームというモノの存在を知ったのは小学校低学年、インベーダーブームの頃。しかし実物を見た訳ではなくメディア報道だったかと思います。ゲームセンター、当時で言うインベーダーハウスに不良が集いいろいろと悪さをして問題となっている事をニュースか何かで知ったのです。
実際に昔のゲームセンターは薄暗くタバコの煙の充満した、お世辞にも健全と言える場所ではありませんでした。全国的な風潮としてインベーダーゲームは不良の遊びとされ、それを堂々と親・教師が教え込み、子供はそういう場所に行ってはいけないと釘を刺していたのです。
現代でも何か事件があるとゲームが槍玉に挙げられますが、当時はその比ではありません。まさに「ゲームは悪いもの」そのものだったのです。



まだ幼い私は素直にゲームは怖いモノだと信じこんでいましたし、そもそもゲームセンターなど無い片田舎に住んでいましたので、コンピュータゲームとはまるで縁のない毎日を平和に送っていました。



そんな中、期せずして2つの変化が起きます。



1つはご存じ「コロコロコミック」の創刊。


当時の一番人気の漫画「ドラえもん」を大プッシュした低学年向けコミック誌です。まずドラえもんありきで、併せて「パーマン」や「オバケのQ太郎」など他の藤子作品が紙面の大半を占め、残りのページに若手の作品が載っているといった雑誌でした。
ちなみに創刊当時はまだ月刊ではなく、価格も300円弱だったと記憶します。

そしてその若手作品の中で内容・作画が頭1つ飛び抜けた漫画がかのゲーム漫画の金字塔「ゲームセンターあらし」でした。

ゲームセンターあらし

当然ドラえもん目当てでコロコロを買っていた私は比較的高学年向けの絵柄だったあらしには最初まるで興味を持ちませんでしたが、繰り返し読んでいく行くうちに「なぜこの主人公は悪い遊びを一生懸命やっているんだろう?」という疑問を持ちます。

まだコロコロがドラえもん依存でホビー路線に入る遙か以前の時代の作品群の中、遊びに命を賭けスタイリッシュにそのジャンルをアピールするという作風の鏑矢となったのが「ゲームセンターあらし」だったのです。

私がそのかつて無いスタイルの漫画、そしてテレビゲームという未知の代物に魅了されるまでさほど時間はかかりませんでした。



そしてもう1つの変化は駄菓子屋に訪れます。


当時の私の行動範囲内には3-4軒の駄菓子屋があり、文字通り駄菓子やお好み焼き、簡単なおもちゃを売っていましたが、そのうち1軒に突如テレビゲームが導入されたのです。

初めて見るテーブル筐体のインベーダーゲーム。
高さ1m程、ガラストップテーブル、漆黒のボディがアウトロー感を存分に振りまきます。
インベーダーと言ってもタイトー純正ではなく、何処が作ったか分からないパチ物インベーダーでしたが、まさか馴染みの店にゲームが来るなどとは青天の霹靂。

その日を境にその店の客層は一変。かつての子供のサロンではなく中高生ぐらいの怖そうなお兄さんの集う店となってしまったのです。


あらしで見たインベーダーが手の届くところまで来た!しかも1回10円!
が、しかし大人達からテレビゲームはやってはいけません!と厳命され、さらに店内は狼の檻の如きで幼い児童がおいそれと入れる雰囲気ではありません。

インベーダーやってみたい!…でも、怖いし怒られるの嫌だし…。

行きたい、でも…、やっぱり行きたい!、…駄目だ、怖い、とぐるぐる逡巡の繰り返し。
数日悩んだ上で小さな勇気を振り絞り友人達とプレイしに行くことを決めました。かつてない新しい時代の遊びが出来るというのは少年達にとってあまりに蠱惑的だったのです。大人に咎められる行為をするという背徳感もまた背中を押す一因でもあったのでしょう。


中学生達がたむろする店内におそるおそる入り、目立たないよう小さくなりながら順番待ち。まさにレベル1で地下迷宮に潜る無謀な冒険者の心境です。

ようやく巡ってきた順番。
10円玉硬貨投入!1プレーヤースタート!
仄暗い店内に幻灯の如く妖しく光る侵略者の群れが眼前に立ち並ぶ!
恐怖と背徳と期待感、あらゆる感情がない交ぜになり

最高潮に達する胸の高まり!!





人生最初のテレビゲームはじつにあっさり終わりました。
100数十点とったぐらいだったかと思います。
テレビゲームという存在自体未知のモノで、まるで勝手が掴めないままでゲームオーバーでした。

終わった後は友人皆ダッシュで店を出て、逃げるかのように家路へ。
良い意味でも悪い意味でも「やっちゃった!」という想い故にです。
いやむしろ悪いことをしたという罪悪感が一番強かったのでしょう。



以後30年続く私のゲームライフの第一歩は、非常に苦い味でした。


【つづく】




【参照】

=> wikipedia スペースインベーダー
=> wikipedia コロコロコミック
=> ゲームセンターあらし公式サイト
=> wikipedia ゲームセンターあらし


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