【ゲーム親父の回顧録:4】 ゲーム&ウオッチの想ひ出
2008.11.07 Friday
【前回】
今年(2008年)、クラブニンテンドーのポイントプレゼントとしてDS用「ゲーム&ウオッチコレクション2」が登場しました。
「1」の方はあまりそそれられませんでしたが「2」に収録されている「パラシュート」は私が初めて買ったゲーム&ウオッチでしたので懐かしくなり注文しました。
オリジナルモードをプレイして改めて感じるのは、そのシンプルさ故に生まれるリズム感の心地良さと先に進むにつれてスピードがアップするものの100点ごとに一端スピードが下がるといった難易度・緊張感の緩急の妙。
淡泊なゲームなだけにその微妙な味付けの巧みさがよく分かります。
世界を魅了する任天堂製ゲームデザインの機微はまさにこの時代から始まっていたのです。
故 横井軍平氏が新幹線内でサラリーマンが電卓をプチプチ触って時間つぶしをしている姿を見て液晶小型ゲーム機のアイデアを思いついた、というのはゲーム好きの間では有名な逸話ですが、この小さな閃きは巨額の債務を抱え倒産の危機に瀕していた任天堂に非常に大きな利益をもたらし、そしてそれを起点としファミコンからWii・DSへと任天堂ハードの血脈は繋がっていくことになるのです。
横井氏の発想がなければゲーム大国日本の姿は無かったと言っても過言ではないでしょう。
最初の発売は1980年。インベーダーブームも一段落し世間的にテレビゲームに対する認知の高まった頃でした。
私がゲーム&ウオッチを知ったのはこのテレビCMだったかと思います。
芝生に正座してる女子高生に時代を感じますねw
当初は訴求対象を大人としていましたが、いざ蓋を開けてみると主な購買層は子供。
子供の側にしてみれば、駄菓子屋ゲーセンで知ったゲームの味を家でも野外でも楽しめるというのは非常に魅力的でしたし、6千円弱という頑張ればギリギリ手の届く価格も絶妙。
そして今でこそデジタルの卓上時計なんて100円で買える代物ですが当時はまだ存在自体が珍しく、時計機能を持つゲーム機とはまさにデジタルガジェットの先駆けと言える存在でした。さらに大人を対象とした製品だけにプロダクトデザインもまた秀逸で、今の目で見ても古さやチープ感はまるで感じられません。
子供達にとってこの上ない垂涎の的だったのは言うまでもありません。
***
私がその頃持っていたのが前述の「パラシュート」というゲームで、上から落下傘部隊が次々降りてくるのを手漕ぎボートで受け取るという冷静に考えれば微妙にシュールな内容のものでした。(ゲーム&ウオッチの内容は流れてくるモノを「受け取る」か「避ける」かというのが殆ど)
当時、私が通っていた学校には「雨の日は学校にゲーム&ウオッチを持ってきても良い」という不思議なルールがありました。しかしゲームセンター立入禁止令をも出していたので学校側としてもテレビゲームの対処法を模索していた時期だったのかもしれません。
そうなれば晴れより雨の日の方が嬉しくなるのは必然で、思う存分貸し借りしあえる梅雨時期はパラダイスのようでした。
登校時に雨が降っていなくとも僅かでも降る可能性が有ると思えば密かにポケットに忍ばせて持ち込み、雨が降るなりジャジャーンと取り出して休み時間によく遊んでいたものです。
どこの学校でもそうでしょうが、クラス内で1〜2ヶ月に一度ぐらい席替えを行っていました。その頃何故か特定の女子と5〜6回連続で隣同士になるという偶然が続いたことがありました。30人ぐらいの生徒数だったかと思いますが今考えると奇跡的な確率です。
彼女は(というより女子は基本的に)ゲーム&ウオッチを持ってくる事はありませんでしたが、ただ一度だけ「ジャッジ」(数字の大きな方が相手をハンマーで叩くゲーム)を持ってきた事があります。
別にその娘を好きだった訳でもなく、むしろ隣に来るたび悪友に冷やかされるのでお互いの仲はあまり良くありませんでしたが、誰も持っていない珍しいゲームをしたいがために頭を下げて遊ばせて貰いましたが、ぶっちゃけ微妙でプレイ時間もやたら長いし内容も単調だしで正直あまり面白くありませんでした。
「つまんねェなぁ」と言おうとしましたが、ふと横を見るとその娘が嬉しそうに私のパラシュートを楽しんでいましたので、「ま、いいか」と。
程なくして、学校にゲーム&ウオッチを持ってくるのは禁止となりました。
天気関係なく持ち込んだり、授業中にプレイするという不届きな輩が出始めたのに先生が業を煮やしたのです。
貸し借りの場が放課後に移っただけですので友人間でのプレイは支障ありませんが、ジャッジはそれが最初で最後のプレイとなりました。
***
所有していたのは遙か遠い昔のこととなりましたが、「ゲーム&ウオッチ」の名を聞くとまずはじめに私の「パラシュート」が思い出され、その次にたった1度しかプレイしていない彼女の「ジャッジ」が脳裏に浮かびあがります。
顔も名前も今では覚えていませんが、彼女は今どこで何をしているのだろうかとふと思います。WiiやDSを子供と一緒に遊んでいるような優しいお母さんになっていてくれていたら嬉しいのですが…。
【つづく】
今年(2008年)、クラブニンテンドーのポイントプレゼントとしてDS用「ゲーム&ウオッチコレクション2」が登場しました。
「1」の方はあまりそそれられませんでしたが「2」に収録されている「パラシュート」は私が初めて買ったゲーム&ウオッチでしたので懐かしくなり注文しました。
オリジナルモードをプレイして改めて感じるのは、そのシンプルさ故に生まれるリズム感の心地良さと先に進むにつれてスピードがアップするものの100点ごとに一端スピードが下がるといった難易度・緊張感の緩急の妙。
淡泊なゲームなだけにその微妙な味付けの巧みさがよく分かります。
世界を魅了する任天堂製ゲームデザインの機微はまさにこの時代から始まっていたのです。
故 横井軍平氏が新幹線内でサラリーマンが電卓をプチプチ触って時間つぶしをしている姿を見て液晶小型ゲーム機のアイデアを思いついた、というのはゲーム好きの間では有名な逸話ですが、この小さな閃きは巨額の債務を抱え倒産の危機に瀕していた任天堂に非常に大きな利益をもたらし、そしてそれを起点としファミコンからWii・DSへと任天堂ハードの血脈は繋がっていくことになるのです。
横井氏の発想がなければゲーム大国日本の姿は無かったと言っても過言ではないでしょう。
最初の発売は1980年。インベーダーブームも一段落し世間的にテレビゲームに対する認知の高まった頃でした。
私がゲーム&ウオッチを知ったのはこのテレビCMだったかと思います。
芝生に正座してる女子高生に時代を感じますねw
当初は訴求対象を大人としていましたが、いざ蓋を開けてみると主な購買層は子供。
子供の側にしてみれば、駄菓子屋ゲーセンで知ったゲームの味を家でも野外でも楽しめるというのは非常に魅力的でしたし、6千円弱という頑張ればギリギリ手の届く価格も絶妙。
そして今でこそデジタルの卓上時計なんて100円で買える代物ですが当時はまだ存在自体が珍しく、時計機能を持つゲーム機とはまさにデジタルガジェットの先駆けと言える存在でした。さらに大人を対象とした製品だけにプロダクトデザインもまた秀逸で、今の目で見ても古さやチープ感はまるで感じられません。
子供達にとってこの上ない垂涎の的だったのは言うまでもありません。
***
私がその頃持っていたのが前述の「パラシュート」というゲームで、上から落下傘部隊が次々降りてくるのを手漕ぎボートで受け取るという冷静に考えれば微妙にシュールな内容のものでした。(ゲーム&ウオッチの内容は流れてくるモノを「受け取る」か「避ける」かというのが殆ど)
当時、私が通っていた学校には「雨の日は学校にゲーム&ウオッチを持ってきても良い」という不思議なルールがありました。しかしゲームセンター立入禁止令をも出していたので学校側としてもテレビゲームの対処法を模索していた時期だったのかもしれません。
そうなれば晴れより雨の日の方が嬉しくなるのは必然で、思う存分貸し借りしあえる梅雨時期はパラダイスのようでした。
登校時に雨が降っていなくとも僅かでも降る可能性が有ると思えば密かにポケットに忍ばせて持ち込み、雨が降るなりジャジャーンと取り出して休み時間によく遊んでいたものです。
どこの学校でもそうでしょうが、クラス内で1〜2ヶ月に一度ぐらい席替えを行っていました。その頃何故か特定の女子と5〜6回連続で隣同士になるという偶然が続いたことがありました。30人ぐらいの生徒数だったかと思いますが今考えると奇跡的な確率です。
彼女は(というより女子は基本的に)ゲーム&ウオッチを持ってくる事はありませんでしたが、ただ一度だけ「ジャッジ」(数字の大きな方が相手をハンマーで叩くゲーム)を持ってきた事があります。
別にその娘を好きだった訳でもなく、むしろ隣に来るたび悪友に冷やかされるのでお互いの仲はあまり良くありませんでしたが、誰も持っていない珍しいゲームをしたいがために頭を下げて遊ばせて貰いましたが、ぶっちゃけ微妙でプレイ時間もやたら長いし内容も単調だしで正直あまり面白くありませんでした。
「つまんねェなぁ」と言おうとしましたが、ふと横を見るとその娘が嬉しそうに私のパラシュートを楽しんでいましたので、「ま、いいか」と。
程なくして、学校にゲーム&ウオッチを持ってくるのは禁止となりました。
天気関係なく持ち込んだり、授業中にプレイするという不届きな輩が出始めたのに先生が業を煮やしたのです。
貸し借りの場が放課後に移っただけですので友人間でのプレイは支障ありませんが、ジャッジはそれが最初で最後のプレイとなりました。
***
所有していたのは遙か遠い昔のこととなりましたが、「ゲーム&ウオッチ」の名を聞くとまずはじめに私の「パラシュート」が思い出され、その次にたった1度しかプレイしていない彼女の「ジャッジ」が脳裏に浮かびあがります。
顔も名前も今では覚えていませんが、彼女は今どこで何をしているのだろうかとふと思います。WiiやDSを子供と一緒に遊んでいるような優しいお母さんになっていてくれていたら嬉しいのですが…。
【つづく】
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- 23:27
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